琵琶口説 松浦長者壺坂寺縁起

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  • Опубликовано: 5 фев 2025
  • 2025年1月22日 録音 渡部八太夫 筑前琵琶弾き語り
    2025年1月25日 ビデオ編集
    説経松浦長者壺坂寺縁起口説き 渡部八太夫作
    さればによりて、これはまた
    国を申さば、大和の国、壺坂というところにて、栄華を極めしは、松浦長者にておわするが、
    男子にても、女子にても、子宝だけは恵まれず、長谷観音にお籠もりあれば、あらありがたや、
    玉をのべたる姫君ひとり授かりたり、御名をば、小夜姫御前とおつけあり、ご寵愛限りなし
    去れどもいたわしや、姫君四歳の御時に、長者ははやり病にて、死に給う、蔵の宝は忽ち消え失せ、
    広き館も朽ち果てて、母上様と姫君、ただふたり、沢に降りては草を摘み、里谷に出ては落ち穂を拾って、
    露の命を送らるる。姫君十六歳となりぬれば、母上様の申す様
    「今年は、そなたの父の十三回忌なりしが、菩提をとむらう金もなし、是は父の形見の法華経なり拝み給え」
    と、さめざめなき給えば、小夜姫は、法華経を顔にあて、流涕焦がれて泣き給う、こぼれる涙の隙よりも
    「親の菩提というものは、身の代替えても、弔うべきと聞く、ええ、自らも、身を売って、菩提を弔わん」
    と、思い立ち、夜半に紛れて立ち出でて、興福寺へと参らるる、さてここまでは、大和の国の御物語
    その頃、また、奥州安達ヶ原のさくらが淵には、恐ろしき大蛇が棲み給う、
    八郷八村の人々は、この大蛇を鎮めんが為、年にひとりの見目よき姫を、人身御供にこそは供えける
    この年、人身御供の当番は、権太夫と申す商人なり、
    身を売ろうという者あらば、買い取らんと、権太夫、都をさしてぞ上がりける
    去る間、権太夫、京洛中の辻々に、高札書いて立て置けど、身を売るべき人こそなかりければ
    奈良の都を尋ねて、買い取らんとおもいつつ、興福寺の辺りに高札立てにけり
    さてまたここに、諸事の哀れをとどめしは、小夜姫様にておわします。
    夜通し歩いた明け方に、興福寺の山門に辿り着き、門の脇を見てあれば、高札あり、
    「ええ、なになに?『見目良き姫のあるならば、値高う買うべきなり』とな」
    さても、嬉しの御ことや、これよりすぐに参りつつ、身を売らん」と、勇み立ち、太夫の宿所に急ぎける
    権太夫は、喜んで、
    「なになに、親の菩提と聞くからは、良き値に買うてくりょ」と、金五十両で、固く契約申しつつ、
    権太夫・小夜姫二人ずれ、壺坂指してぞ急ぎける、さて、壺坂の館になりぬれば、小夜姫は、
    金五十両、受け取って、
    「如何に商人、これより父の菩提を弔う故に、しばしの暇を給われや」
    と、持仏堂にまします母上様のそばに行き、
    「如何に母上、これこれ、御覧候え、黄金を表で拾いて候、父上様の菩提を懇ろに弔い給え」
    と、宣えば、母上、なのめに思し召し
    「おお、さては、御身の志の深き故に、天の与え給うものなり、さらば、弔い申さん」と
    数多の御僧供養して、良きに追善仕る、南無阿弥陀仏弥陀佛と供養終わりてその後に、いたわしや小夜姫は、
    「如何に、母上様、今は、なにをか包むべき、自らは、身を売りて候ぞや、商人の手に渡り、いずくとも知らぬ国に参るなり、いずくの浦にあるとても、必ず便り申すべし」と、泣き給う
    母上、この由、聞こし召し
    「ええ、これは夢かうつつかや、あら、情け無き次第なり」と、小夜姫に抱き着き、流涕焦がれ泣き給う、
    かかる所へ、権太夫、館の内へづづっづいっとと入り、有無も言わさず小夜姫のこがいな取ってひったつる
    母上、この由ご覧じて
    「ええ、情けなや、幼き者のことなれば、お許しありてたび給え」とすがるれば、権太夫
    「五十両は、あの姫の養子代、良き大名へ奉公にだすなら、安いもの、気長に、迎えの輿を待ち給え」
    と空事、言い残し、表を指して出でにけり、涙、涙の別れなり
    更に、ものの哀れをとどめしは、習わぬ旅の小夜姫なり、足に血豆の東海道、権の太夫に追い立てられて奥州路、ようよう、奥州安達ヶ原につきにけり、さて、権の太夫の館は大忙し、
    休む間も無く小夜姫は、直ちに湯殿に下ろされて、湯垢離・塩垢離・水垢離と二十一度の垢離を取り、
    巫女の衣装に飾り立て、七重のしめ縄結界、七十二の御幣立てたる座敷に座らされ給いける、小夜姫不審に思い、「如何に、女房達、奥州では、かようにせねば、座れぬのか?」とお問いある、女房達は承り
    「あら、いたわしの姫様かな、ご存じなくば、語り申すべし、これより、さくらが淵と申する池の築島に三階建ての棚を飾り、その上に、姫様を、大蛇のえさとして、お供え申すが故に、かように清め申すなり」
    と、語り給えば、小夜姫、驚き
    「ええ、こは、いかなる事やらん、如何なる憂き目も覚悟なれども、かかる事とは夢にも知らず、父の為と思うなら、さらに恨みに、思わねど、ただただ、国元の母上様のみ、心に掛かるなり」と、流涕焦がれ泣き給う
    早、時も移れば、いたわしや、小夜姫を網代の輿にのせ申し、さくらが淵にお着きある、池のほとりは、貴賎群衆の見物が満ち満ちて、今や遅しと、待ち受けたり、さて、それよりも小夜姫を舟に乗せ、築島指してぞ漕ぎいだす、早、築島につきければ、上なる段に姫君供え、神主、権太夫が肝胆くだいて礼拝し、岸に戻れば、
    あら、いたわしや、小夜姫は、只一人、すごすごと、念仏唱えておわします
    やがて、俄に空がかき曇り、暗雲たちこめ、雷鳴震動はたたがみ、水を蹴立てて巻き上げて、
    その丈十丈あまりなる大蛇、くれないの舌を巻き、小夜姫を只一口に飲み込まんと、迫り来れば
    小夜姫、少しも騒がず
    「如何に、大蛇よ、汝も、生あるものならば、少しの暇を与え給え」と、かの法華経第十二ダイバダッタボンを高らかに読誦し給う
    「そも、このダイバボンは、龍女の即身成仏の理(ことわり)なれば、汝も蛇身の苦しみを逃れよ」と
    御経を大蛇の頭に投げつけ給えば、あら、ありがたや
    十二の角が、はらりと落ちて、一万四千の鱗が、皆ちりぢりに散るかと見れば、
    十七八の女と姿を変えて、身の上語りをはじめたり、
    「いかに、姫君、聞き給え、それがしは、その昔、ここに橋を架けるために沈められた人柱なり、その恨みから、大蛇となり、年にひとりづつの人を食い、九百九十九年くらしたり、今日、千人目の人身御供に、かかる尊き姫に会う事、偏に、仏縁と、喜びは限りなし、この御恩に、なにか布施を参らせん」聞いて、小夜姫
    「ならば、大蛇よ、我が故郷の奈良へ送りてべ」と申しければ、女はさあらば送り申さんと
    、小夜姫の手を取って、淵の中へ入るかとみえし刹那の内に、大和の国に聞こえたる、猿沢の池のほとりに着きにけり、大蛇は、暇申してさらばとて、たちまち龍となって、天に昇り給う、
    さて、その後、母を尋ねて見てあれば、泣き暮らして目がつぶれしが、龍神の霊験あらたか、たちまち両眼、はっきと、開き給う、やがて、松浦長者も再興し、富貴の家に戻し給うは、目出たかりける次第なり
    これも、偏に、龍神様のお陰やと、大蛇の身体を、壺坂寺の本尊に十一面千手観音と祀り給えば、眼病封じ、小夜姫は、近江の国竹生島の弁財天となり給い、頭に、蛇体を載せ給う、これは、身を売り姫のおん物語、証拠も今も末代も、ためし少なき次第とて、感ぜぬ人はなかりけれ

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